ニコ動で投稿者プロフィールをご覧いただいた方はご存じかもしれませんが、
「歌ってみた」に挑戦しようと今色々と調べています。
元々私自身ブラスバンドとクラシックギターをやっていた関係で、ある程度の知識は
あるのですが、時間も経っていますし色々と変わっている事も多いので、知らない事が
逆に先入感を持たない様で、すんなり受け入れやすい感じがします。
学生指揮者もやっていた(正式にはやらざるを得なかった)事を思い出し、当時の仲間の顔を
思い出しながら考えていました。
一生懸命付きっきりで面倒を見てくれた先輩や憧れた先輩、そしてどうしても出したい音が出なくて
一緒に泣いた同じパートの同級生・・・後輩もできて色々と悩んだ日々が懐かしく感じます。
さてお話が飛びましたが、「歌ってみた」について日々感じている事・・・
誰かが「歌った」→じゃあ私も・僕も→大量の「歌ってみた」が特定のタグで検索すると出る。
好かれている歌や気に入られている歌は多くの人に受け入れられ、歌い手様は歌う事が
ニコ動での役割だと思うので、それは良い事だと思います。
ある方のプロデュースされた曲と歌詞が歌になり、歌ってみた方が増えて合唱版も出る程の
大がかりな規模になっているのを感じ、またおひとりおひとりの作品を勉強の為に拝聴して
います。
皆さん生まれ持ったキャラクターを発揮しておられますが、その中の動画のひとつで私は
手を止めて感じ取ってしまった事があります。
「この方の歌い方から愛が伝わってきた」
そう感じたんです。
愛っていうとちょっと照れる方も多いですけど、恋と愛の違いを今月中旬に東京ビッグサイトで
開催されていた企業イベントの一企業の説明員の方との世間話で教わりました。
「恋は下心」で「愛は中心(なかごころ)」だと。
これが正しいかはわかりませんが、文字を見ると確かにその通りだと私は思いました。
先程の方の「歌ってみた」は他の方とは違い、私にはその歌への愛情が伝わってきました。
その方は名の知れた歌い手様ではありませんが、一生懸命さが他の歌い手様より伝わって
来たので、私はその方から「愛」を込めて歌う事の大事さを教わりました。
これが正しいかはわかりません。
いつか・・・いつか歌った作品をうpする時が来たら、自分の一番大事な人をイメージしながら
その歌を歌いたいと考えています。
ちょっと長くて難しい内容でしたが、「歌ってみた」について私なりに考えたことでした。