ふと、なんだろうって考えてしまう白い動物です。
しあわせって人によって違うんですよね。
第三者から見たら一見しあわせそうに見えても、本人がしあわせだと感じて
いなければ、それはしあわせとは言わないと数年前に定年退職したある
担当していたお客様の企業の役員の方から伺いました。
私は毎年2月になるとしあわせについて考える事にしています。
もうだいぶ昔の事ですが、ある人が本当にしあわせになれるにはどうしたら
いいのだろうか?という事をずっと考えています。
一度は縁あって私と関わった大切な相手であり、傍にいた人であり近くに
いたけど、今は遠い存在になってしまった相手。
当時の2月にその人からのある贈り物を、私は受け取る事ができません
でした。
ですが、それが何かを事前に知っていました。
その人が勇気を振り絞って一生懸命つくったあるモノは、私の元に届く事は
ありませんでした。
その時のお返事に渡そうとしていたケースに入った光るモノをある言葉と一緒に
千葉県の海沿いにある某テーマパークで相手に届ける事もかないませんでした。
値段とかの問題ではありません。
理由はどうであれ、相手の心を深く傷つけてしまった事は事実なのです。
その結果、お互いが深く傷ついて1人は止まったまま、そしてもう1人は
その事を胸に抱え今も忘れずに毎日を生きています。
お店で今の時期のあの売り場を見ると、今も胸が痛みます。
一時期に比べたらある商品やサービスを提供する企業名を見たり聞いたり
するだけで、体調が悪くなる事はなくなりました。
だけど・・・あのお菓子だけは今もダメです。
それまでは大丈夫でしたが、その出来事があってからあのお菓子は身体も
受け付けなくなりました。
その人のしあわせは本人じゃないとわかりません。
私は・・・きちんとその人がその時に確かに傍にいて、一緒に時間を過ごした
事を覚えている事が、私なりに考えたその人への「しあわせのかたち」だと
考えています。
あなたのしあわせがきちんと届きますように。